渚のグルーチョ

文学。そして、お笑い、音楽など。

ヴェレサーエフ「鼠落としの中で」

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読書ブログ、久しぶりの更新だ。

 

読んだ作品は、筑摩世界文学大系第93巻『近代小説集』より、ヴィンケンチイ・ヴィンケンチエヴィチ・スミドーヴィチ・ヴェレサーエフ(ロシア 1867~1946)作「鼠落としの中で」という短篇。

 

日露戦争の戦場。

この堡塁は、過去、この中で二人の将校が気が狂ったことがあり、兵団の中で、「気狂い眼鏡堡」と有名である。

一番主な登場人物も、レスツォフ、カタラノフという二人である。

兵隊たちの市井での生活みたいな人間的な会話。

喉を銃弾が貫通し、死ぬ部下のベスパロフ。彼は、美しい顔を持った、快活な人間だった。

カタラノフは、唇をゆがめて涙を流す。カタラノフは戦争や軍部に毒づく。

レスツォフはその言葉に反感を持つ。

 

結末カタラノフは日本軍の銃弾を受けて死ぬ。

レスツォフが疑問(カタラノフの死、そしておそらくこの戦争に対しての疑問)を持ち、カタラノフの死に行く目を見つめていた。目は答えてくれなかった。

 

印象に残った個所。

戦場での兵隊たちの自棄(やけ)になった会話。陽気さ、ユーモアがあった。

しかし、裏返せば、死を前にしてのニヒリズムなのだ。

そして、彼らは無意味に殺されていく。やはり戦争は地獄だ。

 

ベスパロフの死に方がリアルだった。顔が膨れてくるとか。

 

絶対に戦争なんて行きたくない。軍隊も地獄だし、死ぬのも殺すのも嫌だ。

 

https://youtu.be/PmILOL55xP0?si=59HCoy1U6XEcanbn

③『ファイアサイン・シアター脚本集』導入部③

書き直させろ!ここ、南軍が南北戦争に勝利し(訳注:実際には勝利したのは北軍)、真珠湾攻撃のあとアメリカが降伏したことを、大統領としてフランクリン・D・ローズベルトはラジオで発表したが、「ニック・デンジャーのはるかな冒険」を中断したことに謝罪した(訳注:もちろん、全て事実ではない。ファイアサイン・シアターの作り出した虚構の世界)。ベトナム戦争は、ピコとアルバラード(軍人名、通りの名前ではない)を経由してロサンジェルスに移動する。もしその逆でないなら、ロボットのリチャード・ニクソンが、彼の言葉を燃やしてしまう小頭症の人々の中に庶民へと変わり、中古車のセールスマンはジェイムズ・ジョイスへと明らかに逆に変わる。ファイアサイン・シアターは不条理に賭けている。管理された暴動、マッド・マガジンの知的な源は何でも、ジャン=ポール・サルトル、ジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』、レニー・ブルースアルフレッド・ジャリ、ザ・フロント・ページトワイライト・ゾーン。逆さまのミダス王(訳注:触れる物が皆、黄金に変わった王。その逆だから、黄金に見える物が諷刺され、現実の低い価値に落とされる事か!?)が働いてる。権力のまともな外見の裏の狂気、無垢の内側の邪悪さ、そしてそのようなおかしな世界の1週間前にテレビで演じられた、信じられないあり得ない筋書きの真面目なツラの全てを暴く。

「私はバッグを取るわ」と、ハワイアン売り切れというクイズショーで、ミセス・プレスキーは言う。そのショーは、「ドワーフを潰すな、プライヤーを貸せ」の軍事裁判が行われてるなか、「ハイ・スクール・マッドネス」に突然現れ、終わる。

「つまり」と1マイルものニヤニヤ笑いを浮かべた司会者。「あなたは4フィートの立方体の18カラットの金の延べ棒と、蛇のナイフの全てをこの小さなバッグのために交換しようと言うのですね。ミセス・プレスキー?」「そうよ!」とミセス・プレスキー。彼女は欲望に駆られて言う。「そのバッグが欲しいわ!」「そう、よいでしょう、では、バッグを開いて下さい」「そう、はい!うっ、なぜ?ーなんでこれはウンコのバッグなの!」「しかしこれは凄いウンコなのですよ、ミセス・プレスキー…」ーー高校の激励集会にて、学生が「リアルさとは何だ?」と叫ぶのに比べれば、この場面自体が色褪せてしまう。

 

 

(翻訳後記:疲れたーー!!あと半ページ!!しかしミセス・プレスキーのくだり、気持ち悪いな。

Google翻訳また少し使った。ごめん…。)

 

 

②『ファイアサイン・シアター脚本集』導入部②

 全面的戦争犯罪に、はっきりと見えても見えなくとも、ベトナム戦争の時期だった。リチャード・ニクソンの狂気(それゆえ、1972年にファイアサイン・シアターのキャラクター、ジョージ・タイアバイターの選挙運動標語は「狂っちゃいないぜ」だった。この標語はニクソン以前もあらゆる大統領選の間ずっと、谺している)ニクソンは1968年に紙一重で大統領に選出された1950年代の赤狩り主義者だった。1972年に圧倒的勝利で再選され、1974年に失脚し辞任した。1968年のマーティン・ルーサー・キングJrやロバート・F・ケネディの暗殺、1965年ロサンジェルスのワッツで始り、国を横断した、都市での黒人スラム街での暴動は、それから燃え上がり下火になる。一部のニュー・ヨーク、ニューアーク、ニュー・ジャージイ、デトロイトクリーヴランド、シカゴ、ワシントンD.C.ボルティモアカンザス・シティ、その他沢山ーー頭を向けるたびに生々しい恐怖が待ち受ける。本能とずるさ、技術と決意、そして何よりも忍耐力で作業を進め、1つのセリフを孤立した効果音のトラックに重ね、1分以内、あるいはそれ以下で、LP全体にわたってそのプロセスを続ける忍耐力。そのため、何度聞いても、一度に起こっていることのすべてを聞き取ることはできず、あるいはおそらくまったく聞き取ることができない。見えないビートルズは、彼らの眼前に開かれた歴史の危険な止まらない再演を持って応える。

 

 

(訳者後記:やっと1ページ翻訳終わった。Google翻訳3割使ったけど…。すんません💦ファイアサイン・シアターのグッズの「狂っちゃいないぜ」(の翻訳で合ってるのか!?)のバッジを、ジョン・レノンが付けてる写真がある。ジョン・レノンもファイアサイン・シアター聴いてたみたいだ。)

①『ファイアサイン•シアター脚本集』導入部(文:グレイル・マーカス)

 1960年代から始まり、現在まで続く、LPレコードアルバムを媒体としたロサンゼルスのコメディグループ、ファイアサイン・シアター。レコード作品の多くは生き生きとこの本に集められている。特に『ニック・デンジャー第三の眼(訳注:「落ちこぼれ探偵」の意味もある)のはるかな冒険』と、そのレコード裏面の『どうすれば、どこにも居ずして二つの場所に居られるか?』、(1969年)、『ドワーフを潰すな、プライヤーを貸せ』(1970年)、『このバスの乗客の私たちは皆ボゾ(訳注:馬鹿の意味)だと思う』(1971年)。

 ファイアサイン・シアターは、見えないビートルズだ。アルバムジャケットにフィリップ・オースティン、ピーター・バーグマン、デイヴィッド・オスマン、そしてフィリップ・プロクターの写真が現れるか現れないか関わらずである。アルバムから出てくる何百の声たちの一つとメンバー個々の顔を結びつけることは決してない。

 「ザ・シャドウ」から「ビッカーソンズ」までの1930年代と40年代のラジオドラマ。「エイモスとアンディ」から「フィリップ・マーロウの冒険」まで。第二次大戦映画からケイト・スミスのコンサートまで。最新から20年後まで、テレビCMと初期のネット接続なしのケーブル番組。ガイディング・ライトのようなメロドラマと、マーロン・ブランドが出演しなかった1973年のアカデミー賞放送。現代の審美的経験の基礎のほとんど、チャンネルのザッピング、声たちは同時に同じ音程になり、ごちゃ混ぜになる。君は声を認識した。子供の頃から先週まで、ずっと、君のほうから、または横から聞こえてきた声だ。しかし、その声が運ぶ言葉は、すべての古い亡霊を時代の渦に投げ込み、その渦から彼らは混乱し、怒り、笑い、慈悲を懇願しながら現れたのだ。

 

 

(さて、序文のまず2ページの四分の一翻訳終わりました。やれやれ…。結構疲れる笑。後半、幾つかGoogle翻訳参照しました。ごめんよ)

ファイアサイン・シアター紹介

昨夜の長時間の睡眠から目覚めて、思い立った。

 

「ファイアサイン・シアターのZINEを作ろう‼️」

 

どこから手を付けて良いかわかんないけれど、まずはWikipedia記事短い紹介文の翻訳でも。

 

ザ・ファイアサイン・シアター(通称ザ•ファイアサインズ)は、ロサンゼルスのKPFK FM局でのラジオ番組レディオ・フリー・オズへの生出演で、1966年11月17日に初めて世に現れた、アメリカの超現実的コメディ団であった。彼らはレディオ・フリー・オズに、KRLA 1110そしてKMET FMに移っても1969年2月までの間、出演を続けた。

彼らは、コロンビア・レコード社との契約のもとで15枚のアルバムと1枚の45回転のシングルを1967~1976年の間制作している。そして、3つの全国放送のラジオ番組を持っていた。The Firesign Theatre Radio Hour Hour [原文ママ]  (1970年  KPPC-FM局)、 Dear Friends (1970–1971) 、Let's Eat! (1971–1972) (両方とも KPFK局). 彼らはまた聴衆の前にも出演した。

そして彼らは、執筆し、演じ、他のレーベルでレコードを吹き込み続けた。、時おり、執筆や、ピン活動や少人数のメンバーでのグループで演じる間は長期休暇を取った。

 

 

The Firesign Theatre (also known as the Firesigns)[1][2] was an American surreal comedy troupe who first appeared on November 17, 1966, in a live performance on the Los Angeles radio program Radio Free Oz on station KPFK FM. They continued appearing on Radio Free Oz, which later moved to KRLA 1110 AM and then KMET FM, through February 1969. They produced fifteen record albums and a 45 rpm single under contract to Columbia Records from 1967 through 1976,[3] and had three nationally syndicated radio programs: The Firesign Theatre Radio Hour Hour [sic] in 1970 on KPPC-FM; and Dear Friends (1970–1971) and Let's Eat! (1971–1972) on KPFK. They also appeared in front of live audiences, and continued to write, perform, and record on other labels, occasionally taking sabbaticals during which they wrote or performed solo or in smaller groups.

 

まずは、こんな感じ。

訳文こなれてなくて、堅っ苦しいでしょう~?

少しGoogle翻訳も1箇所参照にした。ごめん。

 

苦情は受け付けません。何故ならこのZINE 作ることに迷いが出るから。それほど強い人間じゃないです。では。

スタインベック「聖処女ケティ」

今朝は、アメリカの作家ジョン•スタインベックの「聖処女ケティ」と言う短篇を読んだ。

 

あらすじ:

あらゆる者を嘲笑う悪と言って良いロアーク、彼はまた子豚を食べたり、人を襲ったりする悪いメスの豚ケティを飼ってる。

ただ、修道士がロアークの家を訪れ、十字架を向けた時、ケティは改心する。

 

感想:

何て感想書こうか、正直戸惑ったな。

奇跡の話だが、悪に対してもキリスト教は効果があり、善い生き方を歩ませる事は出来るのだ。

 

聖書読んでみようかなぁ。

 

あと、映画エクソシストみたいに、前半のケティの表情には醜悪なイメージが湧いた。

 

改心で、皆が認めてくれること。

悪と思える存在にも善の要素はあること、善い存在に変わる可能性があることってのが教訓だな。

ミゲル•デリーベス「こういう夜に」

今日も短篇一作読了。作品名は「こういう夜に」ミゲル•デリーベス(スペイン作家)作。

 

可哀想な短篇だった!でも、僕自身の境遇が思い出されてとても共感出来た。

 

あらすじ:

刑務所から出てきたばかりの主人公。

街路でアコーディオンを弾く男に声をかけ、居酒屋へ一緒に入る。

アコーディオン弾きはニコラスと言う名前で、目など顔半分が火傷で無いのだった。

主人公は、ニコラスに曲をリクエストする。

居酒屋の親父もまたニコラスにリクエストする。

 

彼らは、家族もなく一人なのだった。

悲しみの共感。音楽の優しい力。

 

感想:

3人のことを、世界と繋がってない孤独な存在に、僕には思えた。そして、一時期の僕も思い出した。

 

音楽は彼らに、自分を捨てた家族、死んだ家族、過去の失敗を思い出させる。そんな風に音楽が彼らを世界に繋ぎ止めているのだ。

そして、彼らの苦痛の連帯を音楽は優しく包むようだ。

サルトル「嘔吐」、町田康「告白」の音楽の浄化力を連想した。

 

デリーベス、良い作家だな。もっと読んでみたい。1920年生まれ~2010年死去らしい。

凄く昔の作家だと思ってたけど、少し前に亡くなったんだなぁ。